写真日記

 

 

ニアメにあるマーケットpetit marche)写真6,7 

12時前

 

 活気あるマーケット。マルシェの中でも、ボンジュール、サバ?、と多くの人が声をかけてくる。日本人を見るのは珍しいのだろうか?それとも、団体で歩く日本人がめずらしいのだろうか。多くの人が関心を寄せる、たくさんの子供たちが後についてくる。

 Donne-moi des cadeaus(何かくれ)と手を差し伸べてくる子供や大人も多いが、「だめだよ」と答えたり、差し出された手に握手で返したりすることによって、すぐに演技で苦しそうにしていたであろう顔が笑顔に変わる。ニジェールに人たちはほんとうに素敵な笑顔で笑う。しかめっ面したおばさんやおじさんも、「ボンジュール」の一言で笑顔に変わる。そんな笑顔を見たくて私もいろんな人に声をかけてしまう。「ボンジュール」それは笑顔を呼びおこす魔法の言葉であるように思えた。

 ニジェールは危険な国、というイメージは少なからず頭の奥底にあったが、今日一日町を歩いてみてその考えはことごとく消えた。もちろん用心ということばは、ここニジェールに限らず必要であるのだが、メディアでよく流される乱暴で内紛のある国の人々とは思えぬほどの人懐っこさである。生活してみるのと、旅行するのは確かに違うが、第一印象で私はニジェールが大好きになった。

 

 

ニジェールでの写真撮影

 

 「ストップ!!!」と大きな声が飛んできた。ビデオカメラを向けた私の友達に飛びつく勢いで叫ぶ。ニジェールでは写真を嫌う人が少なからずいるようだ。これは宗教柄であろうか?しかしながら、「写真を撮ってくれ」という人も多い。銀行でも、レストランでも。私はカメラを向けた。「笑って」・・・・・・・(沈黙)・・・・・・・写真の前ではなぜか固まってしまうニジェール人。撮ってくれというのだから、もっと持ち前の素敵な笑顔を見せてもらいたかったが、一向に笑ってくれない。緊張してしまうのだろうか。こう言うとき、言葉がわかれば・・・と心底思う。いままでも、言葉を通して仲良くなったり、その人たちにとけこむことで笑顔を引き出して写真を撮ってきた。ところが、ここニジェールではハウサ語、ザマル語、フランス語のため、なかなか通じ合えない。言葉をおぼえたい。もどかしさでいっぱいである。

 

 

ニジェールの水

 

 「ミネラルウォータよりうまい」ってことで、ニジェールの水道水をグビグビ飲んでいるが、体に異常はいまのところみられない。この日記を書いている今に関しては健康のありがたさが分からないほど元気であるが、さてさて、この1ヶ月でいったいいつ体を壊してしまうだろうか。とにかく一ヶ月という短い期間なので、体は壊したくないものである。しかし、この暑さと埃の中で、普段の生活の中でさえ(つまり特別なことをしなくても)体力が著しく消費され、昼の休憩が必要であると体で感じてしまうくらい疲れている。

 

 

ニジェールにおけるノンバーバルコミュニケーション

 

 ランチをとるために、AIR FRANCEのレストランにいった。明日から村に入るため、おいしいものを食べておこうと、イタリアンという豪華なメニューだ。料理が来るまでに少しでも言葉を覚えたくて、近くにいた子供たち5人を見つけ、その輪の中に入っていった。子供心をひきつけるのに折り紙は大きな役割を果たしてくれた。鶴をあげると子供たちは大喜びでいろいろ話しかけてくれたが、なかなか言葉がわからなくもどかしい思いをした。とりあえずザマル語でこんちにはを「   」というのだけ学んだ。言葉で伝わらない分、ジェスチャーなどを使う。

そこで、私が興味をもったのは「ニジェールと日本のジェスチャーの違い」である。たとえば、喜びを表すとき、手のひらをグでたたくであったりとか、挨拶や別れ際には日本のように握手をするなどである。故、真弓先生に頼まれていたノンバーバルなコミュニケーションと組み合わせてビデオ作成をする予定である。

 

 

ニアメのスーパーマーケット(super marche

 

 いったいここはいったいどの国だ?と思うほどの品揃えだ。チーズにしろさまざまな種類があり、揃わぬものはないといった様子であった。しかし、このスーパーマーケットは白人など外国からの人を対象としているのか、値段は外で買うよりずいぶん価格が上がる。

 

 

贅沢な時間を使うニジェール人

 

 何をするにも時間をかけるニジェール人。銀行で両替するときも、何かを買うときもゆっくり仕事をする。仕事をしつつも、そばにいる人たちとのんびり話しながらであったり、とにかくひとつのことをやるのに日本の数倍、ひどいときは10倍以上の時間をかける。ここに、現地隊員藤田由有の面白い話があるので、引用する。

 

郵便局での話(1997)

 

マルシェでの買い物

 

本当によく働く女たち

 

 女たちは本当によく働く。

 子供から大人まで常に働く姿が目に入る。掃除、洗濯、育児、料理・・・女たちの仕事は尽きないようだ。

 一方、あれ?男たちは?大人の男たちは畑仕事やマーケットにでかけているようだが、それにしてもあちこちで日陰でくつろぐ男たちの姿はあちこちでみられる。

少女たちは育児やミレット打ちなどで一日中働いているのに、少年たちは一日中、遊んでいる。この仕事分担をうまくできないものだろうか。

 

村で気づいたこと

 

 車にのっていても、子供から大人まで手を振ってきてくれる。外国人がめずらしだけじゃなくて、人との関係を大切にする人種なのです。

 

 私たちが私物を広げっぱなしにしていても、村の子供たちは絶対に手をつけない。人のものを欲しがったり、くすねることはイスラム教で厳しく禁じられているからだろうが、同じイスラム教でもモロッコとか同じニジェールでも都市の人とはかなりその辺りで違うようだ。

 

 どこからともなく、人が集まる。誰もが勝手に家の中に入ってくつろぐ。家という境界線なし。

 

お茶を出すのは、歓迎の意味を表す。こっちのお茶は甘い甘い。必ず砂糖を入れる。暑いせいであろうが、エネルギーを取るために、糖分をとるからだ。

 

TEAなど余れば年上から分配。金持ちとか関係なし。年上がうやまわれる。

 

カメラの前では緊張。

ビデオの前では静止。

 

砂入りのごはん。米は洗わない。しかも溜め池の水で炊飯。ゆえ、ごはんにはごみと砂はつきもの。

 

すれた子供@

 ちょっと教育をうけているからか、片言の英語を知っているからか、掟破りな奴がいた。ここの子は決して人が食べているものや、持っているものをねだったり、欲しがらない(してはならない)のに、「hey, give me it(しかも間違っている)」と私たちの食べているものを指差して何度も言ってきた。さすがにゆーさんもアイシャトゥもびっくり。ゆうさんが何か言ったらそそくさと去っていったけど。ちょっとものを知っていると、えらいぶってしまうのかしら?

 

 すれた子供A

 何様やねん!?棒で他の子をなぐりちらして、自分の優先ポジションを得ようとする奴。っこでは年上は敬われるけれども、そういう立場や力を利用して悪いことをするやつもいるもんだ。私が怒ったら、へへ・・と笑ってどこぞかへ去っていった。

障害者の社会的立場

ここでは、病気や事故によって障害者となる人が結構多いため、障害者だからといって特別な処置や手当てはない。みな同じように働くし、同じように結婚して子供も生む。

 

村の土地

土地は王様のもの、と、みんな畑を無償で耕す。「どうして?」という疑問に対して、王様は偉大だから、という返答。

 

女子供たちの仕事

家畜の草集め

ミレット打ち

 

8月17日(木曜日)

 

 パン、パン!!!

 突然大きな音が鳴ったと同時に、子供たちが10人くらい走りだし、ばたばたと倒れた。

「!!銃声?!泥棒?!」一瞬にして、そう思ったのだが、どうも様子が違うようだ。

 発狂する人の声があちこちから聞こえる。悶えるように地面に頭を伏せて子供たちが泣いている。いったいどうしたのか。

 しばらくすると、ママロンが私たちのところにやってきて、事の事情を話してくれた。

 私たちがお世話になっているママロンとヒンダの一番上の娘がお産で赤ちゃんと共に亡くなったのだ。

 ニジェールでは人が死んだとき、思いっきり泣く。

 ニジェールでは、私たちが想像する以上に家族の絆が深い。家族とは自分の魂の一部であるように、家族を身近に感じ、大切にする。それは村の生活を通して、本当に理解できた。家族だけでなく、親戚一同家族同様に育ち

 ちょうどハジャラやアイシャ、アミーナにとっては、自分を育ててくれた人であり、草刈、水くみ、木登り、掃除、食事の作りから、ミレット打ちを毎日一緒にし、教えてくれた人にあたる。毎日、毎日同じことをして生活した人。しかも小さな村なので、いわば世界はとても狭い。その中でずっと一緒にいた人が死ぬことは、ものすごい悲しみだったのだろう。実際、アミーナやアイシャの悲しみは、みていても心が握りつぶされるほど悲しくてつらいものだった。一度地面に這いまわり立ち上がれないアミーナの手を取ったとき、彼女が完全に自制心を失っているのにかなり動揺した。

 

しかし、ムンムニ等物心さえつかない子供たちの涙は、どれほど認識されてのものなのだろうか。子供に「死」の意味はいったいどれだけ認識されているのだろうか。客観的にみるならば、これは一種の集団ヒスなのかもれない。死が身近に起こったとき、人は思いっきりなく。

 彼女は15歳の時にボンシェリというイッサンゴーナから3km離れた村に嫁いだ。20歳という年で3人目の子供を妊娠。しかし、難産であったため、近くのディスポンセール(村の診療所)に連れて行かれたが、手が打てず、ザンディールの市立病院に運ばれた。しかし、危機に貧していた母体をザンディールまで運ぶには母体が弱まりすぎていたため、彼女は生まれてくるはずであった赤ん坊と共にこの世を去った。

 彼女は、日本人の友人(ゆーさん)が来るというので、ちょうど2日前にイッサンゴーナを訪れていたらしく、そのときは元気でしっかりしていたというのに、その二日後にはこのようなことが起こってしまった。

死と向かい合わせの生活

 

 この経験を通して、私は、ニジェール

 

 久保田先生が言うには、

貧困層と絶対貧困層を区別して、絶対貧困層の人にはなんらかの支援をすべきである。

 

 

ブレーメンの笛吹

 

 私が歩く。

 子供たちが後を歩く。

 私が歩く。

 子供たちが後をついてくる。

 私が後ろを振り返る。

 大勢の子供たちがそこにいる。

 

どこに行っても、どこを歩いても、子供たちがついてくる。確かに日本人(外国人)がこんな町から離れた村に、めった来ないからだろう。普通は怖がって逃げたりするものかと思いきや、人懐っこいニジェール人(ハウサの人)は、すぐになついてずっとずっとついてくる。

大勢の子供たちを引き連れて歩く姿。ふと、「ブレーメンの笛吹き」を思い出した。

 

ハエとの共存

 

 

もうどこにいってもハエはいる。

しかも大量に。

いつでも顔やら足やらにたかってきて、うざいったらありゃしない。

一匹や2匹、まけて100匹いてもぜんぜん気にならないが、その数、1000を超える。たとえば、部屋に入ったとたん、ブボボボボーーーーーーーーーーンと一斉にハエが騒ぎ始める。

さすがに、ハエで視界がさえぎられたり、食べるときに障害になったりすると、頭にくる。